第61話 航介、半生を綴る。

最近出会った人に、どんな人かよく分からないと思われていたらしい。それもそのはず、どこに就職するの?と聞かれて「ジャニーズ」と答えたり、卒論なに描くの?と聞かれて、「ふんどし」と適当に答えたりしていたからだ。そう、俺は自分の話をあんまりしない。なんか相手がそんなに興味あるとも思えないし、自分の話をそのまましたところで面白くなさそうだからだ。だが、自分が思っている以上に他人は自分のことを知らないので、やっぱりちょっと自分のことも知ってほしい気分になった。

なので、突然だが知られざる(というか誰もそこまで興味を持たない)俺の経歴を書こうと思う。今日のブログはレアです。

序章 中学時代
野球部でピッチャーだった。この頃から音楽に興味を持った。同級生がORANGE RANGEやらGReeeeNを聞いてる中、OasisRadioheadBlurといったUKのバンドを聞いてた。

第2章 高校時代
家からチャリで3分の偏差値66くらいの高校に入った。男子ソフトボール部に入った。高1のときは模試で学年7位を取ったりと勉強もそこそこできた。高2になり特進クラスに進んだ。ソフト部では部長を任され、4番レフトという主軸で活躍した。ここまでは順調だが、しかし、高2の初めあたりでベースを始めた。このことが歯車を大きく狂わせる。地元の友人とバンドを組んだ。すぐにオリジナル曲を作り始めた。ビートルズやら昔のロックの魅力に気づいたのもこの時期だ。この頃はミッシェルやブランキーやらガレージ系の音楽や、その頃流行っていた毛皮のマリーズとか古めのロックに影響されたバンドにはまった。最初のライブを友人の通う高校の文化祭でやった。ボロボロだった。しかし何を間違えたか、「ライブハウスとかでやりたくね?」と勢いで秋くらいからライブハウスに出演しだした。だいたい月2,3回は地元のライブハウスで演奏した。演奏は下手くそだったが、同級生とかがよく見に来てくれた。ライブハウス界隈でも徐々に人気と知名度が出てきた。お客さんもちょっとだけどついていった。今振り返ると、青春を駆け抜ける感じがあって本気で楽しかった。次第に部活と勉強をサボるようになった。3年生になり、部活を引退した。周りは受験モードに入っていた。。しかしこのころすでに俺の将来の夢はミュージシャンだった。勉強なんて関係なくね?と思ってあんまり勉強しなかった。ボチボチやって、入れる大学に入ろうと思った。受験のためバンドは夏で活休に入った。俺は早くバンドやりたくてウズウズしていた。あっという間に卒業した、

第3章 大学1年
受験を終えた。勉強を怠った結果、吉祥寺にあるあんまりパッとしない大学への入学が決まった。この大学を選んだのは、中央線沿線の文化的で世捨て人な香りに惹かれたから、ただそれだけだった。文化的バックボーンが皆無の千葉のベッドタウンで育った俺は高校時代から高円寺や吉祥寺や下北沢あたりの俗にいうサブカルエリアにマジで憧れていた。高校の時芸術鑑賞会みたいのが銀座であった。午前中に終わったので、午後、同級生たちが原宿やら渋谷に行く中、俺は高円寺に向かった。それくらい憧れていた。将来はこの辺に住むんだと決めていた。

そうして千葉の実家から吉祥寺に通う大学生活が始まった。入学当初、新歓だのなんだの華やかなキャンパスライフを送るぞ〜みたいな空気が蔓延していたが、俺はそれには全く興味がなかった。ただただバンドでさっさと結果を残したかった。髪型をブライアン・ジョーンズみたいにした。当然のように変な人扱いされた。高校時代のバンドは続けた。都内のライブハウスにも出だした。客はなかなか来なかった。CDを作ったりした。売れなかった。コンテストに出たりした。なかなか結果は出なかった。今思えば、色々ダサいバンドだったので成功しないのは納得できるが、その頃は自分たちの音楽を信じていたので悲しい思いをした。徐々にメンバー間でイライラが高まり、一年生の秋、「方向性の違い」という名目で解散が決まった。一回目の挫折。解散した後は、それまでバンド中心の生活だったので何をすればいいか分からなくなった。悲しみを胸に抱いたままひたすら中古ゲームショップのバイトをした。

すると冬、某他大の知人から「サークル入らないか?」と聞かれ、暇だったので行ってみることにした。そして入った。ビートルズの曲をカヴァーするサークルと言われて興味を持った。
時を同じくして東京で活動するバンドの人から「ベースやらない?」と誘われ、こちらも二つ返事でやると答えた。

この時期にハマってたものは…あまり思い出したくない時期なのでほとんど覚えてないけど、バイト代が入ればCDを買い漁っていた。60年代のサイケにハマったのはたしかこの時期だ。あと、手塚治虫の漫画を学校の図書館で借りては読んでた。

第4章 大学2年
春、再び音楽漬けの毎日が始まった。時給がやたら良いコールセンターのバイトも始めた。新しく入ったサークルでは他大の人間ながら順調に人間関係を築いた。参加したバンドでは、レンタカーで高速を走って、千葉、大阪、神戸、名古屋のライブハウスに連日出るというツアーをいきなり行った。その後も6月、7月と学校に通いつつ都内のライブハウスに月2,3で出るという生活を続けた。
夏になり、参加しているバンドでレコーディングを行い、アルバムを作った。ライブも滞りなくやった。だけど、徐々にバンドでやってる音楽に違和感を感じてきた。音楽性で言えば、結構ラウドで、パンクな感じも見せつつ歌も聞かせるバンドだった。ライブは盛り上がるし、楽しかった。だけど、これは自分がやりたい音楽なのか、疑問を抱き始めた。しかしそれを忘れるくらい忙しくバイトとライブとスタジオ練習を繰り返した。
そうして8月のある日、新宿でライブした。この日のライブの翌日からまた大阪神戸にツアーに行く予定だった。気合いを入れた新宿のライブの日、とあるポップスバンドと対バンだった。男女7人編成のバンドだったのだが、キャッチーでキラキラした曲がすごく魅力的だった。この時に気がついた。俺はロックでなくポップスがやりたい。この時期、東京のインディーズシーンでは徐々にポップスがトレンドになり始めていた。俺は時代の波に敏感なので、世の中に評価されるにはポップスをやらなきゃいけないと気づいていたのだ。
そんな複雑な心境の中ツアーに出た。書かなければいけないのは、このとき既に、自分の中のやりたい音楽が定まらない葛藤から俺はかなりピリピリしていて、加えてバンドに加入した側である自分の意見が中々通りづらいバンドメンバーとの関係はギクシャクしていた。そして迎えた大阪のライブでの夜、もう、なんか色々どうでもよくなり、缶ビールを5本くらい飲んでからライブした。当然のように最低な演奏だった。大阪まで行ってバンドに迷惑をかけた。俺は脱退を決意した。

東京に帰った次の練習で、メンバーにもうこのバンドでやっていくモチベーションを保てない旨、他にやりたいことがあるから抜ける旨を伝えた。二回目の挫折だった。

9月、ポップスバンドをやるためのメンバーを集め始めた。高校時代に一緒にバンドやってたやつ、そいつがつれてきた弾き語り女子、サークルの先輩に声をかけた。

10月、スタジオに入った。とても良い感じだった。すぐに意気投合しバンドを始めることを決意した。数年ライブ活動をした経験から、ライブハウスのノルマで出費がかさむためむやみにライブを繰り返すより早めに音源を作るべきだと判断した。
11月、12月と曲作りのためスタジオに入った。
年明けからレコーディングを開始した。順調に進むかと思われた。が、1月2月とバイトや何やらでメンバーの予定が中々合わずに集まれない悶々とした日々が続いた。次第にメンバー間のモチベーションは下がっていった。中々集まれなくて、俺も拗ねて、だんだんやる気がなくなってきた。3月ごろにはもういいや、気長にやっていこうという気持ちになった。しかし、この態度がメンバーの内の一人の早々と進めたい意欲とぶつかることになり、4月、そいつにバンドから抜けてほしいと言われた。まあ仕方ないなと思った。実は俺も時期を見て抜けるつもりでいた。実質俺がバンドのリーダーだったので、俺の脱退後バンドは空中分解したみたいだ。音源も未完のまま終わった。三回目の挫折。

第5章 3年生
20歳。これまでに三回もの挫折を味わった俺は、もう自分にはバンドはダメだったんだ。なにか違うことをしよう。と思った。音楽に対しては諦めモードになり、サークルもやめた。
音楽をやっていたこと自体がなんだか気恥ずかしくなり、バンドをやっていたことはひたすら隠すようにした。

音楽がダメなら映画かなーと思って、とりあえず映画を見まくることにした。ツタヤに行って1日1本見ようとDVDを借りまくった。映画に関する本も読みまくった。
映画は、めちゃくちゃ面白かった。自分の知らない世界をたくさん知れた。音楽と同じように、映画にも歴史や時代の流れがあり、様々なクリエイティブな作家がいることを知った。よし、これだと思った。徐々にちらつき出す就活という二文字、映像系に進めたらいいなと漠然と考えるようになった。自分でも作れるだろうかと考え、そのとき大学で広告の授業を受け、CMのクリエイターに影響を受けたこともあり、まずはCM作りをしてみようと思った。そして仲間を集めて学生のCM作りのコンペに応募してみた。夏、作った作品は見事にコンペで審査員賞をもらった。嬉しかった。だけど、これは仕事にするのは違うなと思った。広告は、誰かに依頼されて作るもので、音楽をやっていたときの、自分のやりたいことをやって、その結果としてシーンを作り上げていくことの正反対にある分野だと感じた。それから、映像の編集には想像以上に時間がかかり、仕事にするとほとんど眠れないような日々が続くだろうなという確信を持った。そこまでして、やりたいことではなかった。広告や映像に進む道は早々と切り上げた。好きだった広告もこれをきっかけに嫌いになった。

それでも映画は純粋に面白かったので見続けた。部屋で一人映画を見る時間が、本当に愛おしくて止まらない時間になった。もう人と会うのも面倒臭くなり、映画を見れば見るほど部屋に引きこもるようになった。人とつながる意味も全く分からなくなり、やっていたSNSを全て退会した。友人からの連絡もあまり返さなくなった。この頃は、誰かと過ごした楽しい時間は少なかったけれど、一人でじっくり楽しんだ時間がたくさんあったので振り返ると複雑な気持ちになる。

第6章 四年生
そんなことをしているうちにすぐに就活の時期がやってきた。この頃は特に書くようなことはない。一言で言うと、ひたすら面白くなかった。大学受験と同様になんとなくで内定をもらった会社に入社を決めた。特に面白いこともなく日々を淡々と過ごしていった。去年と同様に人ともあまり会わなかった。
就活が終わったら卒論、ゼミ合宿に行った。楽しかった。演奏会をやるというので、数年ぶりに楽器を外に持ち出した。そして演奏会、練習不足のグダグダな合奏だったが、久しぶりに人と一緒に演奏して、とても楽しかった。みんなの前でレミオロメンの粉雪を弾き語りした。人前で音楽を発表するゾクゾク感、緊張から来る苦痛と、音楽をやる快感が一緒に押し寄せる感覚をかなり久しぶりに味わった。生きた心地がした。 演奏会の締めの一言を任され、口から出た一言は、「やっぱり音楽って最高だな」だった。
ゼミ合宿以降は、就活のプレッシャーから解放されたこともあって徐々に人に会うようになった。ゼミの仲間や高校時代やバンド時代の友人とも久しぶりに会って遊んだり飲んだりするようになった。普通に充実していて、楽しかった。でも、何かが足りないことに気づいた。何かをずっと考えていた。そうして気がついた。かつて情熱をそそいだ、自分にとってかけがえのないもの。そう、音楽だった。ゼミ合宿で自分が発した言葉がこだまする。「やっぱり音楽って最高だな」。

最終章 現在
もうすぐ学生が終わることと、まだ音楽として自分の作品を何も残せていないこと。その二つが原動力となり、部屋に録音機材と楽器を出した。作曲と録音を始めた。ここまで来て、俺は再び音楽を始めた。自分の作ったものが、他人に評価されるのは嬉しい。でも、それは結果であって目的ではない。自分が出したい音を出して、自分が歌いたいことを歌おう。素直に作りたいものを作ろう。こんな心境になるのに、高校時代、ベースを始めて触った時から6年かかった。バンド活動における3回もの挫折も、人と会えず映画ばっかり見てた冴えない日々も、今、音楽をやる喜びを味わうためにきっと必要だったんだ。
もうすぐ、俺は22歳になる。何も残せず22歳になることは怖い。きっと16歳の情熱を抱いて音楽を始めた自分は怒っている。でも、過去を悔やんでも仕方がない。22歳になるまでの人生よりも、当然だが、22歳になったあとの人生の方が長い。これから、愛する音楽とともに歩んでいこう。また挫折を味わうかもしれない。それでも再び俺を立ち上がらせるのは、多分音楽なんだろう。そう信じるよ。

あとがき
自分の半生を書くつもりが、自然と自分の音楽史になった。そして最後の方感極まったことと深夜のテンションが重なって下手な小説みたいになった。笑

読んで貰えばわかる通り、高校2年から現在まで、部屋で映画を見まくった大学3年の1年間を除いて、ずっと音楽をやっていた。結果は出なかったけど、やりたいことをやりたいだけやれた、幸せな学生生活だったと思う。
恋愛に関しては一切触れなかったが、この際赤裸々に書くとまあ色々あった。笑
音楽をやめたここ一、二年は恋愛にはご無沙汰だが、振り返ると、音楽に熱中していた時期には必ず恋愛していた。これには振り返って自分でも驚いた。これからまた音楽に熱中しだすから多分また彼女はそのうちできる。それに少し関連した話を。現在俺はアルバムを製作中だ。完成したら誰に一番聞かせたいかというと、高校時代はじめてできた彼女かなーと思う。何を隠そう、こっぴどく振られた。今なら笑い話に出来るけど、その当時は深く傷つき、絶対に見返してやると心に誓った。そうして心に誓ったまま何もできず現在を迎えた。アルバムを少しでも素晴らしいものにして、何年か越しの復讐を誓ってみせる。なんかそれができたら純粋に素敵だ。俺も嬉しいし、彼女は俺のバンド活動を応援してくれていたのて、彼女もきっと嬉しいと思う。なんてね。






普段通りの日記を書くと、お昼行ったタイ料理屋のタイ人のおばちゃんから、「顔と歩き方がタイ人だと思った。なんでこんな日本語上手いんだろうと思った。タイ来ても日本人だってばれないよ」と言われた。ここ最近で一番面白かったな。

第60話

思いつきで始めたブログも、もう60話。今気づいたけどなんと100話は誕生日近くになる計算だ。22歳になる。大事件だ。俺はもうすぐ22歳になるのか。

今まで、何か行動を起こす基準は、「やりたいか、やりたくないか」だった。だけど、大人になるということは、やりたくないこととも何とか折り合いをつけることだと思う。これからは、「自分にとってどう」ということと同じくらい、いやもしかしたらそれ以上、「他人に対してどうあるべきか」もっと突き詰めれば、「社会を、世界を、どうしたいのか」を考えて行動しないといけない。

ま、リネンやコンタンやテツガクや難しいことはひとまず、もう40話ぶんくらいは少し横に置かせて欲しい。まだまだしたいことはするぞ。

昨日鏡で見た自分の髪型がダサすぎて、高校時代ソフトボール部で一緒だったミヤサカ(数々の伝説を残したいじられキャラ)みたいなペタンコおっさんヘアになっていたのに気づいた。耐えられなくなり、すぐに美容院の予約をして、今日行ってきた。

おれがいつもパーマをお願いするのは小さな美容院で、美容師と一対一の貸切のところだ。いつも小さな音量でハウスミュージックが流れている。美容院にありがちなボサノバとか流すのは嫌だという反骨精神からだそうだ。最近エレクトロも聞けるようになったので楽しかった。
パーマの待ち時間にポパイのバックナンバーまで出してもらい読み漁った。東京についての号が面白かった。まだまだ知らないお店とかいっぱいある。

2時間ほどでパーマしてもらった。帰り、知り合いが働いている古着屋に2軒寄った。靴下とパーカーを買った。

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帰って作曲。今作ってる曲は今週中にも出来そう。一曲目を作ることよりも、二曲目を作る方が難しい。このコードは前使ったしなーとか無駄に考えてしまう。誰もそんなとこ見てないのに。

友人とLINEでauの童話のCMの話題になり、俺はあのCMに常日頃から違和感を覚えているのだが、それがなぜかを考えた。起用されているタレントが好きではない以上に、あのCMはなんていうか俗っぽさの極みなのだ。いや、CMなんて俗っぽいものでしょ?なんて言われたらそれまでなのだが、そもそもauを使ってる人間は基本的にみんな俗っぽくて薄っぺらい。(完全なる偏見)。あ、あとはあれだ。これが多分一番の違和感なんだけど、日本の神聖なる童話を、著作権がないからといって俗っぽいタレントを使うことによって穢すな!それでいて電通だかなんだか知らないが制作側の「俺ら斬新で面白いことやってるでしょ?」みたいなドヤ顔が想像できてなんか腹立つ!前にも書いたけど、広告なんて本来邪魔なものなんだからもっと申し訳なさそうにしろクソ!ウンコ!

と、まあ熱く書いたけど、結構どーーでもいいんす。

追記
昨日書こうとして忘れたことを思い出した。
風呂から出てテレビについてたのがちょっと古い日本の映画に驚いた。
時代劇で、きらびやかないろんな色の着物を着た男女が宴会で野球拳をしてる場面なのだが、その色彩感覚がただものじゃなかった。一瞬でグッと惹きつける映像の力があった。
その後のシーンも何か分からない迫力と緊迫感があった。最近のペーペーなテレビドラマとは違う力がそこにはあった。
調べると、なんと深作欣二監督の「必殺4」という映画であった。はー。やっぱり巨匠と言われる人は馬力が違うなーと思ったのでした。

つまり、良いものは一瞬だけで人を惹きつける。そうじゃないものはいくら長い時間見ても変わらない。結局、第一印象が全てなのだ。最初に出会った時、あなたが直感で感じたものが全てなのだよ。

第59話

1月4日(月)

風邪を引いた。起きたら羽毛布団が剥がれていていたので多分そのせいだ。風邪を引くことは、恥だ。自分の体調も管理できないやつを信用することは難しい。馬鹿は風邪引かないとか言うけど、俺は小学校低学年の段階でそれは嘘だと気づいていた。馬鹿ほど風邪を引くよ。馬鹿。

仕方がないので家でゆーっくり過ごすことにした。撮りためた正月のお笑い番組を見る。「おもしろ荘」。一番好きだったのは鶏あえずというコンビの斬鉄の構えというネタだ。ZAZYはネタのクオリティが高いが、あの外見にしては爆発力が足りない気がする。甘神インターは、誠子ちゃんが割と女として見れてしまうのであまり笑えなかった。正直どちらもかわいらしい。ガール座のブスじゃない方はかわいいじゃん。ネルソンズは売れそうなのは分かるけど、コントの笑いの取り方がいかにもな感じであまり好きじゃない。これは好みの問題なので仕方がない。多分みんなそうだと思うけど、とにかく明るい安村とおかずクラブは出過ぎだと思う、いい加減飽きてこない?

「東西ネタ合戦」期待通りにしっかり面白かったので特に書くことはない。やっぱり若手中心のネタ番組の方が、やってる側が必死なのでヒリヒリするという点で圧倒的に面白い。年末の、ネタのクオリティで言えばザマンザイだけど、エムワンの方が見ていて面白かった。

本を読む。加藤シゲアキの「ピンクとグレー」を読み終わった。アルコ&ピースの平子さんがラジオで、NEWSの人だと知らずに読んだらすごい面白かったと言ってたので読んだ。
面白かった。NEWSの人だと知った上でも、青春小説の永遠のテーマとも言える栄光と挫折と、親友の死を描いてる点、骨太だった。
物語の構成は若干疑問に思うところもあったけれど、溢れ出る20代のエネルギーを感じた。多分加藤さんはアイドルが書いてるという理由で色眼鏡で見られることに「クソッタレ!」と、徹底して抗おうとしたんだと思う。「芸能界で生きる人間の孤独と苦悩が分かるか?分からねえだろうな?俺は分かるぜ?体験したからな!」みたいな気迫を個人的には感じました。
あと、あんな友情は、男の身からしてもとても羨ましいなーと思った。
巻末のインタビューで加藤シゲアキは子供の頃から本の虫とかそんなでは全然ないと書いていた。ちょっと勇気をもらった。どの作家のインタビューを読んでも子供の頃から本の虫で、高校あたりから徐々に本を読みだした自分にとってはそこがコンプレックスだったので、俺でも書けるのかなと思った。書くかどうかは分からない。必要があれば書きたい。

今日も音楽をたくさんきいた。記録。
RadioheadのIn The Rainbows。これは初めてリアルタイムで聞いたレディへのアルバムだ。もう説明するのも面倒くさいくらいな名盤で何度も聞いたのだけれど久々に聞いたらやっぱり良かった。グルーブがすごい。
Sad Dy For PappetesとTeam Meのアルバムもキレイでよかった。
Tame Impalaの1stも聞いた。このバンドは不思議だよなあ。この品のあるローファイ感はどうしたら出せるんだろう。ローファイだけどシャリシャリしてないんだよなー。ドラムもベースもセンスが良すぎる。


あらゆる文化系の中年が「無人島に持っていく本、CD、DVDはなに?」みたいなことつらつら書いてる本も読んだ。
しりあがり寿が、無人島に持っていきたいおんがくとして、「毎日毎日違った想像が浮かぶような音楽」と書いてた。たしかにと思った。


追記
深夜に色々思い浮かんだので書く。ブライアン・イーノを聞きながら。

ここ数ヶ月、自分の行動範囲にやたらと綺麗な女の人が増えた。用事やらなにやら、知人の知人だったりとか、とにかく視界に綺麗な女の人が増えた。個人的な問題なのか、それとも社会的に綺麗な人の母体数が増えたのか。分からないけれど、どっちでもいい。どっちでも嬉しい。女性は天からの授かりものだと思う。この世界から女性が消えたらと思うとゾッとする。

夢日記をつけようと思う。起きた直後でないと忘れてしまうので枕元にノートとペンを置いた。起きている間は想像もつかない奇想天外なストーリーを忘れてしまうのはすごくもったいない。

ピンクとグレーは映画やるらしい。多分見る。

2年あれば人生は変えられると言う。

あれ、なんか書こうとしたこと忘れた。

第58話

1月3日日曜日

朝方の冷え込みはすごい。ヒートテック着込んでも寒い。手袋をしてない指先は感覚がなくなりそうだった。グーにして息を吹き込んでしのぐ。

2016年初バイト。特に書くようなことは起きない。つくづく退屈なバイトだ。アルバイトだから仕方がないのだが、達成すべき目標も、実行すべき計画も特にない。終わりが見えるから続けられるが、これで生活するとなると多分頭がおかしくなる。

13時に終わり、四谷から新宿まで歩く。年始の新宿はなんか知らないけど賑わっていた。ブログに禁煙してることをすでに書いたか忘れたけど、しれっと禁煙一週間だ。1日一箱吸ってたので、一箱420×7=2940円(多分)節約したことになる。気のせいかもしれないけれど、財布にお金がやたら多い気がする。喫茶店に入ろうと思ったがやめる。喫茶店はタバコがないと面白くない。今度からタバコは生活の一部として吸うのではなく、なにか飲み会とか、ライブとか、クラブイベントとか特別なときにだけ吸うようにしようかと考えている。

新宿西口のPaul Bassetでカフェオレを買って飲んだ。店内は落ち着きがなかったのでテイクアウトして、外で歩きながら飲んだ。レコード屋に寄ろうかとも思ったけど、特に欲しいものはないだろうし、家でゆっくりしたいので帰った。

記録。
Youth LagoonのSavage Hills Ballroomを聞いた。フォークとエレクトロは相性が悪くないと知って驚いた。聞きやすかったのでもう一回きこう。ゴノというエレクトロの人は外国人だと思ったら日本人らしい。A Life With Clarinetという曲がむちゃくちゃかっこいい。トレインスポッティングの最後のアンダーワールドを思い出した。テクノとエンドロールは相性が良い。

加藤シゲアキのピンクとグレーを途中まで読んだ。今年は週に5冊は本を読む。

帰って作曲。順調だ。色んな他人の宅録音源を聴いて、世の中には天才だらけで少しへこむけど、人は人、自分は自分なので、気にしない。


追記、
キッズリターンの最後の久石譲のディスコ風の楽曲も素晴らしい。

第57話

栃木家族旅行二日目。親父のいびきがうるさくてマジで眠れなかった。本当にひどかったよ…。

朝、露天風呂入る。毎日入ったらお肌スベスベピチピチになるんだろうか。多分気のせいだと思うが、たしかに温泉街で働いてる人で肌ゴツゴツの人とか見たことない。

年末年始、食べまくった。覚えてる範囲だと12/28のCDJから毎日揚げ物食べてる。こればかりは仕方がないので潔く食べるとする。だって美味しいもんな。俺は太る方法と痩せる方法を知っている。太る方法は脂っこいものと甘いものを食べまくることだ。痩せる方法は食べないことだ。現代日本にはデブが多すぎる。平和な証拠だが、デブの何がいけないかというと、かっこ悪いことだ。明日から、痩せる。旅館で測ったら58キロだったので52キロまで、一月中に落とします。その気になれさえすれば簡単です。

旅行中割と暇だったので色んな音楽サイトを見ては曲をApple musicに取り込んでいた。そして聞く。
ROTH BART BARONという日本のバンドが良かった。Manic Sheepという台湾のバンドも良い。水曜日のカンパネラの新しいやつも聞いた。すんごい良い。トラックも透明感があって良い。でも、意味ありげでなさげな言葉の羅列が続くので、アルバムで聞くと5曲めくらいで飽きてしまった。これ、意表を突かれた感じでブレイクしてるけど、このままじゃ売れ続けるの厳しくない?

レモン牛乳を飲んだ。記録。f:id:KOS2094:20160102233913j:image

帰りの電車から見る夕焼けが綺麗だった。
うーん、あっという間に終わってしまったな。終わらない旅はない。

顔について。人間の顔にはその人の持つ経験、人間性、知性、全てが書かれている。ふとした表情で分かってしまう。浅はかな人間の顔は浅はかだ。良い顔になりたければ、とにかく本を読み、人と話すことかな、と思う。カフェや電車で本を読むおっさんは良い顔してる。最近だとラグビーの五郎丸は良い顔してる。ヤクルトの館山投手とかすごい良い顔してる。女性の場合は生活の丁寧さとか、他人への気遣いがそのまま顔に現れていく気がする。たまにいるでしょ、すごい感じの良いおしとやかなマダム。ま、別に男前じゃなくても、男は良い顔になれる。


追記
帰り道で聞いたGrimesもすごい良かった。音楽は出尽くしたとかカッコつけた人がたまに言ってるけど、実は全然そんなことないと思う。新しいものは常に生み出されている。ようやく2010年代の空気に、自分が染まってきた実感がある。

第56話

元旦、朝から電車に乗る。家族旅行で奥日光へ行く。飯を食って温泉に入ってゆっくりテレビを見るだけだが。

一年を一つの区切りにするのはちょうどいい。長すぎず、短すぎない。ギリギリ起きたことは何もかも覚えている期間だ。昔のことは、びっくりするくらい忘れている。高校時代の部活の先輩と飲んだ時、よくそんな試合の内容まで覚えてるなーと思った。悲しいな。だから今年も出来るだけ文字に残そう。

奥日光まで新宿から特急で2時間。アップルミュージックで音楽をかき集める。そんなに聞けるわけはないが、集めるほど集めたくなる。自分で音楽を作り出してからは、作り手の視点で音楽を聞けるようになった。こういう音もありなーとか。これはどうなんだろうなーとか。
テームインパラの人のソロのGUMという人のアルバムが良かった。あとはミゲルが良かった。消臭力の少年じゃないぞ。

奥日光から電車とバスで旅館まで1時間ちょい。すんごい山の中来た。電車と徒歩だけじゃ辿り着けない場所に行くのは特別感あって好きだ。こういうところへ来ると、思えば俺は中途半端に都会っ子なのだなと思う。生まれは東京三鷹、3歳まで広島、その後は東京駅まで電車で30分ほどの千葉のベッドタウンに暮らす。田舎の生活は、想像できない。正月は親戚一同が会するだとか、日本の村社会はよそ者に厳しいだとか、その他もろもろ、理解はできるけれど実感はない。

温泉に入った。鬼怒川が見える露天風呂。銭湯や温泉に来るとおっさんたちのくたびれただらしない体が目につく。毎日働いて家族を養い、くたびれた体をビールで元気づけるというだらしなくも仕方ないその体だが、この体になるのは悔しいな。今のピチピチボディを維持するのはそれなりに苦労するかと思うが、頑張りたい。露天風呂すんごい気持ち良かった。岩の間から流れ落ちる湯を見て、時間がこぼれ落ちているような、また刹那的になってしまった。子供が入ってきた。電灯に水を掛けたりしてはしゃいでいた。戻りたいとは思わないが、なんでも好奇心いっぱいに走り回る子供がうらやましい。

テレビを見た。格付け。ガクト様の相棒のジャニーズが外して悲しかった。終わらないものは多分ないので、仕方がない。

第55話

大晦日。年末年始というだけの理由でやたら食ったり飲んだりできるこの季節は好きだ。

だけど、一年とか季節とか、回っているように見えるけど、それは地球の公転の都合なだけで、厳密には時間はいつも一方通行だ。大晦日が特別な日というより、毎日が特別で、今日がたまたま大晦日と勝手に人間が呼んでるだけの日だ。

一年を振り返るとすると、色々あった。今年は劇場でたくさん映画をみた。Apple Musicを導入してたくさん音楽を聴いた。就活が終わった後は、結構人と遊んだ。満足はしていないが、今後の人生の大事な種になる一年だった気がする。

こんなところに書くのはどうかしてるかと思うけど、2015年、話し、酒を飲み、遊び、関わってくれた人、本当にありがとう。あなたのおかげで俺の毎日は充実していた。これ、呼んでくれてるなら、その人は俺に少しでも興味を持ってくれてるわけで、本当に嬉しく思う。ありがとう。