第67話

芸術家は創作意欲と自信のなさの間を行ったり来たりしている。自分のことを芸術家と呼ぶのはあまりにもおこがましいけど、今、その気持ちがよく分かる。昨日散々自問自答した"Nowhere(仮)"は今日起きて聞いたら、「まあいいか」という気持ちになった。だいたいこのアルバムは何のために作っているんだ。誰かに聞かすためか。有名になってちやほやされるためか。たしかにそれはある。だが、これは自分との戦いだと最近は身にしみて思う。大勢でワイワイシンガロングしながら作っている楽しいレコーディングではなく、低予算と人脈のなさゆえに自分の部屋で一人ギターを弾き鳴らしパソコンとにらめっこしながら作っているのであり、言って見ればすべてにおいて孤独だ。製作している段階で、他人の意見がない。だからこそ少しでもほめられると嬉しいのだろう。もっとほめろ、もっとほめろよ。

 

内定先からのメールに返信を返した。ついに社会人生活が始まってしまうのか。社会人がはじまるまでの数ヶ月は旅行に行くのもいいけど、漫画を読んだりDVDを見たり部屋で何日もたらたらするのも贅沢な時間の使い方であり、それはそれでありかなあと思った。というわけで、Amazonのプライムビデオで映画”フラッシュダンス”を見た。吹き替え版で見た。去年あたりなら、この手の80年代アメリカ感満載の、社会の浮かれ具合を感じてしまうファッション映画はくだらないと切り捨てていたが、今なら見れる。心のゆとりができたのだろうか。同じくMV感覚で構成されたトム・クルーズ主演の”トップガン”は、一昨年あたりの余裕のない時期に下らなさに呆れてしまった。さて、この映画は、ストロボライト(明るく白い光と暗闇が瞬時に交互に切り替わる演出)でダンサーが踊るシーンがある。このシーンを当時劇場で見た人はさぞ斬新さに驚いたのだろうと想像する。作り手もこのワンシーンをやりたいがために映画のストーリーを作ったのかなと思った。主人公の女の子は可愛くて踊ってるシーンは最高にセクシーだし(溶接工でアルバイトしている点は疑問だが)、映像としては綺麗な場面も多かったし、何より音楽に時代を感じたので良しとする。やっぱり音楽と映画は一番わかりやすく時代を後世に伝えるものだと思う。作っている本人たちの意図しないところで時代を感じるから面白い。

 

曲ができそうにないので今日は遊んだ。遊びでやってるつもりが止まらなくなり、簡易ミックスしてサウンドクラウドに載せたので聞いてください。解説すると俺のギャグ感をそのまま音楽化した。ダークでシュールでシリアスでカオスで知的なのだ。考えるな、感じろ。

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明日は出かけようかな。曲も作らなきゃな。

 

PAELLASの新しいアルバムを聴きながら夜散歩をした。よかった。都会の音楽だと思った。ずるいな、やるべきことはたくさんある。