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第61話 航介、半生を綴る。

最近出会った人に、どんな人かよく分からないと思われていたらしい。それもそのはず、どこに就職するの?と聞かれて「ジャニーズ」と答えたり、卒論なに描くの?と聞かれて、「ふんどし」と適当に答えたりしていたからだ。そう、俺は自分の話をあんまりしない。なんか相手がそんなに興味あるとも思えないし、自分の話をそのまましたところで面白くなさそうだからだ。だが、自分が思っている以上に他人は自分のことを知らないので、やっぱりちょっと自分のことも知ってほしい気分になった。

なので、突然だが知られざる(というか誰もそこまで興味を持たない)俺の経歴を書こうと思う。今日のブログはレアです。

序章 中学時代
野球部でピッチャーだった。この頃から音楽に興味を持った。同級生がORANGE RANGEやらGReeeeNを聞いてる中、OasisRadioheadBlurといったUKのバンドを聞いてた。

第2章 高校時代
家からチャリで3分の偏差値66くらいの高校に入った。男子ソフトボール部に入った。高1のときは模試で学年7位を取ったりと勉強もそこそこできた。高2になり特進クラスに進んだ。ソフト部では部長を任され、4番レフトという主軸で活躍した。ここまでは順調だが、しかし、高2の初めあたりでベースを始めた。このことが歯車を大きく狂わせる。地元の友人とバンドを組んだ。すぐにオリジナル曲を作り始めた。ビートルズやら昔のロックの魅力に気づいたのもこの時期だ。この頃はミッシェルやブランキーやらガレージ系の音楽や、その頃流行っていた毛皮のマリーズとか古めのロックに影響されたバンドにはまった。最初のライブを友人の通う高校の文化祭でやった。ボロボロだった。しかし何を間違えたか、「ライブハウスとかでやりたくね?」と勢いで秋くらいからライブハウスに出演しだした。だいたい月2,3回は地元のライブハウスで演奏した。演奏は下手くそだったが、同級生とかがよく見に来てくれた。ライブハウス界隈でも徐々に人気と知名度が出てきた。お客さんもちょっとだけどついていった。今振り返ると、青春を駆け抜ける感じがあって本気で楽しかった。次第に部活と勉強をサボるようになった。3年生になり、部活を引退した。周りは受験モードに入っていた。。しかしこのころすでに俺の将来の夢はミュージシャンだった。勉強なんて関係なくね?と思ってあんまり勉強しなかった。ボチボチやって、入れる大学に入ろうと思った。受験のためバンドは夏で活休に入った。俺は早くバンドやりたくてウズウズしていた。あっという間に卒業した、

第3章 大学1年
受験を終えた。勉強を怠った結果、吉祥寺にあるあんまりパッとしない大学への入学が決まった。この大学を選んだのは、中央線沿線の文化的で世捨て人な香りに惹かれたから、ただそれだけだった。文化的バックボーンが皆無の千葉のベッドタウンで育った俺は高校時代から高円寺や吉祥寺や下北沢あたりの俗にいうサブカルエリアにマジで憧れていた。高校の時芸術鑑賞会みたいのが銀座であった。午前中に終わったので、午後、同級生たちが原宿やら渋谷に行く中、俺は高円寺に向かった。それくらい憧れていた。将来はこの辺に住むんだと決めていた。

そうして千葉の実家から吉祥寺に通う大学生活が始まった。入学当初、新歓だのなんだの華やかなキャンパスライフを送るぞ〜みたいな空気が蔓延していたが、俺はそれには全く興味がなかった。ただただバンドでさっさと結果を残したかった。髪型をブライアン・ジョーンズみたいにした。当然のように変な人扱いされた。高校時代のバンドは続けた。都内のライブハウスにも出だした。客はなかなか来なかった。CDを作ったりした。売れなかった。コンテストに出たりした。なかなか結果は出なかった。今思えば、色々ダサいバンドだったので成功しないのは納得できるが、その頃は自分たちの音楽を信じていたので悲しい思いをした。徐々にメンバー間でイライラが高まり、一年生の秋、「方向性の違い」という名目で解散が決まった。一回目の挫折。解散した後は、それまでバンド中心の生活だったので何をすればいいか分からなくなった。悲しみを胸に抱いたままひたすら中古ゲームショップのバイトをした。

すると冬、某他大の知人から「サークル入らないか?」と聞かれ、暇だったので行ってみることにした。そして入った。ビートルズの曲をカヴァーするサークルと言われて興味を持った。
時を同じくして東京で活動するバンドの人から「ベースやらない?」と誘われ、こちらも二つ返事でやると答えた。

この時期にハマってたものは…あまり思い出したくない時期なのでほとんど覚えてないけど、バイト代が入ればCDを買い漁っていた。60年代のサイケにハマったのはたしかこの時期だ。あと、手塚治虫の漫画を学校の図書館で借りては読んでた。

第4章 大学2年
春、再び音楽漬けの毎日が始まった。時給がやたら良いコールセンターのバイトも始めた。新しく入ったサークルでは他大の人間ながら順調に人間関係を築いた。参加したバンドでは、レンタカーで高速を走って、千葉、大阪、神戸、名古屋のライブハウスに連日出るというツアーをいきなり行った。その後も6月、7月と学校に通いつつ都内のライブハウスに月2,3で出るという生活を続けた。
夏になり、参加しているバンドでレコーディングを行い、アルバムを作った。ライブも滞りなくやった。だけど、徐々にバンドでやってる音楽に違和感を感じてきた。音楽性で言えば、結構ラウドで、パンクな感じも見せつつ歌も聞かせるバンドだった。ライブは盛り上がるし、楽しかった。だけど、これは自分がやりたい音楽なのか、疑問を抱き始めた。しかしそれを忘れるくらい忙しくバイトとライブとスタジオ練習を繰り返した。
そうして8月のある日、新宿でライブした。この日のライブの翌日からまた大阪神戸にツアーに行く予定だった。気合いを入れた新宿のライブの日、とあるポップスバンドと対バンだった。男女7人編成のバンドだったのだが、キャッチーでキラキラした曲がすごく魅力的だった。この時に気がついた。俺はロックでなくポップスがやりたい。この時期、東京のインディーズシーンでは徐々にポップスがトレンドになり始めていた。俺は時代の波に敏感なので、世の中に評価されるにはポップスをやらなきゃいけないと気づいていたのだ。
そんな複雑な心境の中ツアーに出た。書かなければいけないのは、このとき既に、自分の中のやりたい音楽が定まらない葛藤から俺はかなりピリピリしていて、加えてバンドに加入した側である自分の意見が中々通りづらいバンドメンバーとの関係はギクシャクしていた。そして迎えた大阪のライブでの夜、もう、なんか色々どうでもよくなり、缶ビールを5本くらい飲んでからライブした。当然のように最低な演奏だった。大阪まで行ってバンドに迷惑をかけた。俺は脱退を決意した。

東京に帰った次の練習で、メンバーにもうこのバンドでやっていくモチベーションを保てない旨、他にやりたいことがあるから抜ける旨を伝えた。二回目の挫折だった。

9月、ポップスバンドをやるためのメンバーを集め始めた。高校時代に一緒にバンドやってたやつ、そいつがつれてきた弾き語り女子、サークルの先輩に声をかけた。

10月、スタジオに入った。とても良い感じだった。すぐに意気投合しバンドを始めることを決意した。数年ライブ活動をした経験から、ライブハウスのノルマで出費がかさむためむやみにライブを繰り返すより早めに音源を作るべきだと判断した。
11月、12月と曲作りのためスタジオに入った。
年明けからレコーディングを開始した。順調に進むかと思われた。が、1月2月とバイトや何やらでメンバーの予定が中々合わずに集まれない悶々とした日々が続いた。次第にメンバー間のモチベーションは下がっていった。中々集まれなくて、俺も拗ねて、だんだんやる気がなくなってきた。3月ごろにはもういいや、気長にやっていこうという気持ちになった。しかし、この態度がメンバーの内の一人の早々と進めたい意欲とぶつかることになり、4月、そいつにバンドから抜けてほしいと言われた。まあ仕方ないなと思った。実は俺も時期を見て抜けるつもりでいた。実質俺がバンドのリーダーだったので、俺の脱退後バンドは空中分解したみたいだ。音源も未完のまま終わった。三回目の挫折。

第5章 3年生
20歳。これまでに三回もの挫折を味わった俺は、もう自分にはバンドはダメだったんだ。なにか違うことをしよう。と思った。音楽に対しては諦めモードになり、サークルもやめた。
音楽をやっていたこと自体がなんだか気恥ずかしくなり、バンドをやっていたことはひたすら隠すようにした。

音楽がダメなら映画かなーと思って、とりあえず映画を見まくることにした。ツタヤに行って1日1本見ようとDVDを借りまくった。映画に関する本も読みまくった。
映画は、めちゃくちゃ面白かった。自分の知らない世界をたくさん知れた。音楽と同じように、映画にも歴史や時代の流れがあり、様々なクリエイティブな作家がいることを知った。よし、これだと思った。徐々にちらつき出す就活という二文字、映像系に進めたらいいなと漠然と考えるようになった。自分でも作れるだろうかと考え、そのとき大学で広告の授業を受け、CMのクリエイターに影響を受けたこともあり、まずはCM作りをしてみようと思った。そして仲間を集めて学生のCM作りのコンペに応募してみた。夏、作った作品は見事にコンペで審査員賞をもらった。嬉しかった。だけど、これは仕事にするのは違うなと思った。広告は、誰かに依頼されて作るもので、音楽をやっていたときの、自分のやりたいことをやって、その結果としてシーンを作り上げていくことの正反対にある分野だと感じた。それから、映像の編集には想像以上に時間がかかり、仕事にするとほとんど眠れないような日々が続くだろうなという確信を持った。そこまでして、やりたいことではなかった。広告や映像に進む道は早々と切り上げた。好きだった広告もこれをきっかけに嫌いになった。

それでも映画は純粋に面白かったので見続けた。部屋で一人映画を見る時間が、本当に愛おしくて止まらない時間になった。もう人と会うのも面倒臭くなり、映画を見れば見るほど部屋に引きこもるようになった。人とつながる意味も全く分からなくなり、やっていたSNSを全て退会した。友人からの連絡もあまり返さなくなった。この頃は、誰かと過ごした楽しい時間は少なかったけれど、一人でじっくり楽しんだ時間がたくさんあったので振り返ると複雑な気持ちになる。

第6章 四年生
そんなことをしているうちにすぐに就活の時期がやってきた。この頃は特に書くようなことはない。一言で言うと、ひたすら面白くなかった。大学受験と同様になんとなくで内定をもらった会社に入社を決めた。特に面白いこともなく日々を淡々と過ごしていった。去年と同様に人ともあまり会わなかった。
就活が終わったら卒論、ゼミ合宿に行った。楽しかった。演奏会をやるというので、数年ぶりに楽器を外に持ち出した。そして演奏会、練習不足のグダグダな合奏だったが、久しぶりに人と一緒に演奏して、とても楽しかった。みんなの前でレミオロメンの粉雪を弾き語りした。人前で音楽を発表するゾクゾク感、緊張から来る苦痛と、音楽をやる快感が一緒に押し寄せる感覚をかなり久しぶりに味わった。生きた心地がした。 演奏会の締めの一言を任され、口から出た一言は、「やっぱり音楽って最高だな」だった。
ゼミ合宿以降は、就活のプレッシャーから解放されたこともあって徐々に人に会うようになった。ゼミの仲間や高校時代やバンド時代の友人とも久しぶりに会って遊んだり飲んだりするようになった。普通に充実していて、楽しかった。でも、何かが足りないことに気づいた。何かをずっと考えていた。そうして気がついた。かつて情熱をそそいだ、自分にとってかけがえのないもの。そう、音楽だった。ゼミ合宿で自分が発した言葉がこだまする。「やっぱり音楽って最高だな」。

最終章 現在
もうすぐ学生が終わることと、まだ音楽として自分の作品を何も残せていないこと。その二つが原動力となり、部屋に録音機材と楽器を出した。作曲と録音を始めた。ここまで来て、俺は再び音楽を始めた。自分の作ったものが、他人に評価されるのは嬉しい。でも、それは結果であって目的ではない。自分が出したい音を出して、自分が歌いたいことを歌おう。素直に作りたいものを作ろう。こんな心境になるのに、高校時代、ベースを始めて触った時から6年かかった。バンド活動における3回もの挫折も、人と会えず映画ばっかり見てた冴えない日々も、今、音楽をやる喜びを味わうためにきっと必要だったんだ。
もうすぐ、俺は22歳になる。何も残せず22歳になることは怖い。きっと16歳の情熱を抱いて音楽を始めた自分は怒っている。でも、過去を悔やんでも仕方がない。22歳になるまでの人生よりも、当然だが、22歳になったあとの人生の方が長い。これから、愛する音楽とともに歩んでいこう。また挫折を味わうかもしれない。それでも再び俺を立ち上がらせるのは、多分音楽なんだろう。そう信じるよ。

あとがき
自分の半生を書くつもりが、自然と自分の音楽史になった。そして最後の方感極まったことと深夜のテンションが重なって下手な小説みたいになった。笑

読んで貰えばわかる通り、高校2年から現在まで、部屋で映画を見まくった大学3年の1年間を除いて、ずっと音楽をやっていた。結果は出なかったけど、やりたいことをやりたいだけやれた、幸せな学生生活だったと思う。
恋愛に関しては一切触れなかったが、この際赤裸々に書くとまあ色々あった。笑
音楽をやめたここ一、二年は恋愛にはご無沙汰だが、振り返ると、音楽に熱中していた時期には必ず恋愛していた。これには振り返って自分でも驚いた。これからまた音楽に熱中しだすから多分また彼女はそのうちできる。それに少し関連した話を。現在俺はアルバムを製作中だ。完成したら誰に一番聞かせたいかというと、高校時代はじめてできた彼女かなーと思う。何を隠そう、こっぴどく振られた。今なら笑い話に出来るけど、その当時は深く傷つき、絶対に見返してやると心に誓った。そうして心に誓ったまま何もできず現在を迎えた。アルバムを少しでも素晴らしいものにして、何年か越しの復讐を誓ってみせる。なんかそれができたら純粋に素敵だ。俺も嬉しいし、彼女は俺のバンド活動を応援してくれていたのて、彼女もきっと嬉しいと思う。なんてね。






普段通りの日記を書くと、お昼行ったタイ料理屋のタイ人のおばちゃんから、「顔と歩き方がタイ人だと思った。なんでこんな日本語上手いんだろうと思った。タイ来ても日本人だってばれないよ」と言われた。ここ最近で一番面白かったな。